チャイナ・ボーセイ
調べもののメモ。呼び名が一定してないので探すのが大変
Bosey: Board of Supplies of the Chinese Executive Yuan.
リンク
論文
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占領初期沖縄の勝連半島地域における「チャイナ陣地」に関する一考察 - 日本女子大学学術情報リポジトリ
- 『 「チャイナ陣地」とは,沖縄戦ののち,米軍による占領初期の数年間,勝連半島の東部に駐留していた「中国部隊の陣地」である。その存在は,駐留期間が短かったことや文献などで殆ど記述が見られないことから,一般的には余り知られていない』
- 『正式名称が不明で統一された用語が無いため,本稿では地域で通称として広く使用されてきた「チャイナ部隊」と,その部隊が駐留していた「チャイナ陣地」という表現を用いる(以下「」を外す)。本稿の引用でも「チャイナ・ボーセイ」「チャイナ・ベース」「勝連集積所」「中国兵駐屯所」などの表現が見られる』
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- 『1946 年に「中国に対する余剰資産一括売却に関する協定」が米中間で結ばれ、沖縄に残された米政府所有のスクラップを中心とした非軍用品である余剰資産が中国国民党に売却されたこと、沖縄に中国部隊が駐留してその輸送をすることになったこと、1947 年 8 月から49 年6 月に行われたこと、平敷屋から安勢理を中心とした範囲であったこと、大量のスクラップが集積されていたこと、屋慶名の住民と交流があったことなどが明らかになった』
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- 『2 年足らずの間、沖縄本島に中国人を駐留させた協定は、第二次世界大戦の幕引きとしての位置付けと同時に、この時期以降本格化する冷戦の幕開けを手伝った政策であった。その意味において、時代が大きく転換する過渡期の片鱗を示すものであった』
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KAKEN — 研究課題をさがす | 占領初期沖縄における「チャイナ部隊」と米・中関係 (KAKENHI-PROJECT-18K01973)
書籍
新聞・雑誌報道
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米軍物資の国民党売却拠点、勝連と首里に | 沖縄タイムス+プラス
- 「米国との協定に基づき、沖縄戦で残された米軍の物資を中国に送る拠点だった」
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「チャイナ陣地」米軍の対中国物資売却拠点と判明 - 琉球新報
- 「46年8月30日に米中で結ばれた「中国に対する余剰資産一括売却に関する協定」に基づき設置され、中国人や米国人らが作業に従事」
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戦後史秘話「中国軍」が沖縄にいた! 〈週刊朝日〉-朝日新聞出版|dot.(ドット)
- 「米国と国民党は協定を結び、チャイナ陣地から物資を送っていたことになる。米国は、国民党を援助していたわけだ」
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「県系2世 物資管理」チャイナ陣地で証言(沖縄タイムス)
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[つなぐ次代へ 戦後72年]/チャイナ部隊で新成果/千人規模 米軍の統制下/うるま 研究者らが調査報告 | 沖縄タイムス
- シンポジウム「占領初期沖縄におけるチャイナ部隊」|沖縄イベント情報|箆柄暦 のことと思われる
- 公民館講座のご案内 - うるま市 (2017/9/2)
- 「沖縄戦直後勝連半島饒辺地域周辺に実在した中国軍陣地「チャイナ部隊」の真相に迫る」
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山積みの爆弾の上に米兵が上った後、山が崩れ…「伊江島LCT爆発」とは 浮かび上がる現場管理のずさんさ - 琉球新報デジタル
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サンデー毎日 2014年7/6号
- 「沖縄戦後史の謎「チャイナ陣地」研究」
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屋慶名の戦後史 展示/うるまの森根さん 来月4日まで | 沖縄タイムス https://twitter.com/simasyodes/status/970964614232944640
その他
過去の新聞記事や論文でも呼び名は一定していない。
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沖縄戦孤児のDNA鑑定 那覇市に協力要請 | 沖縄タイムス+プラス
- 「沖縄厚生園は1949年、沖縄民政府が本島5カ所にあった孤児院を統合し、中華民国軍の駐屯地「チャイナ・ホーゼ」跡に開設」
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CiNii 論文 - 米国統治下沖縄の民政移行と公的扶助・児童福祉 <<< これまでチャイナボース(中華民国部隊)の占領していた軍施設を,軍政府公衆衛生部の統合的な施設として活用できるようになった。1949年3月,首里の孤児院,養老院の収容者とスタッフがここに移転した。(“US Army Military Government Activities in the Ryukyus, Summation no. 31, May 1949, Headquarters Ryukyu Commands Military Government.”) >>> <<< 1949年11月 5カ所にあった孤児・養老施設を首里石嶺旧チャイナボース(中華民国部隊駐留地)跡に統合し「沖縄厚生園」と称した。 >>>
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CiNii 論文 - 収容所の中の住民と生活の息吹 <<< さらに翌48年には那覇市首里石嶺町のチャイナホーゼ(国府軍キャンプ)跡地に建てられた沖縄厚生園 >>>
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戦後沖縄の社会史―軍作業・戦果・大密貿易の時代― に言及があるようだ
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田井等孤児院と日本軍「慰安婦」問題 : 沖縄戦直後の各地の孤児院研究その2と戦争犠牲者の類型 - 立教大学学術リポジトリ
- 「この総計の人数は、1949 年3月、首里の孤児院、養老院の収容者と養育者が移動し、同年 11 月に沖縄民政府が本島5カ所にあった孤児院を統合し、中華民国軍の駐屯地「チャイナ・ホーゼ」 跡に開設した沖縄厚生園の収容人員 209 人[沖縄県立石嶺児童園(2008)p.4]への過渡的な数字 である」
英語資料
- Pacific Stars and Stripes, Thursday, May 19, 1949, Page 8 <<< 307 Natives Move To Different Homes
OKINAWA, May 19 ― A new home for 222 children and 85 needly old folks, now living in different localities here, is in the offing, according to the Okinawa Civilizan Administration.
According to the announcement, installations and other buildings which were occupied by the China Bosey near Shuri City are being arranged for this purpose. >>>
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Pacific Stars and Stripes, Sunday, November 7, 1948, Page 7 <<< All of the employes of the Board of Supply. Excecutive Yuan (Bosey), stationed here for the purchase, reconditioning and shipment of U.S. Army surplus supplies. >>> <<< Uchima is located on the Katchin Hanto peninsula near Bosey headquarters. >>>
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091: China, Binder No. 1, 1 Jan - 31 Dec 1949 : 1949|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
メモ
- images.library.wisc.edu/FRUS/EFacs/1947v07/reference/frus.frus1947v07.i0021.pdf
- fraser.stlouisfed.org/docs/historical/senate/mccabe_confirmation.pdf
- 沖縄に戦後いた謎の「中国軍」 - Togetter
- (1) 國軍歷史文物館 - 投稿
- 執行沖繩佔領任務的國軍憲兵 - 軍事 - 中時電子報
- Foreign Relations of the United States, 1947, The Far East: China, Volume VII - Office of the Historian
- Foreign Relations of the United States, 1948, The Far East: China, Volume VIII - Office of the Historian