祝嶺森はどこ?/謎の沖尚校歌
沖縄尚学高校の校歌に歌われている祝嶺森ってどこにあるの?
沖縄尚学高校センバツ優勝おめでとうございます。 (センバツ関連は琉球新報サイトセンバツ高校野球特集が詳しい)。
さて、覚えるぐらい聞いた沖尚校歌の中で歌われている祝嶺森ってどこなのでしょうか?
私は子供のころは近所に住んでいましたが、祝嶺森って聞いたことがありません。 疑問に思って調査してみました。しかし、いまだにどこかわかりません...
在校生、卒業生に聞いてみました。
在校生1名、卒業生3名に聞いてみましたがどこかわからないとのこと。 先生も知らないようだったという衝撃の報告もあります...
googleで探してみました。
- google map にはありません。
- google で探しても校歌は見つかるけど、場所はわかりません。
近所を探検
上記写真の一番上が沖尚校舎。右が体育館。手前の森が怪しいのだが...
手前の橋は真玉橋(まだんばし)。
調査報告がありました!
hachimanさんが沖縄大学の副学長さんに確認してくれました。
沖尚の前身である沖縄高校は、沖縄大学と同じ学校法人嘉数学園だったのです。 詳細はWikipedia:沖縄尚学高等学校参照。
- 祝嶺森は、沖大や沖尚がある山(丘)のことらしい。
- 校歌は元々は、嘉数学園の学園歌であり、沖縄高校から引き継いだ。
- 50年前は森だった。
たしかに、沖尚や沖大は小高い丘の上にあり、元は森だったのかもしれません。 周辺には樹々が多いし。墓も多い。
昔の写真を調べてみました
さすがに50年前の航空写真はありませんが、40年近く前のものならWebで見られます。
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国土地理院地図・空中写真閲覧サービス(昭和52年度/1977年の写真)
- 中央の丸い水タンク(沖縄県企業局上間配水池)から真西に沖尚グラウンドが見える。
- この時点で周囲に森が少し残っている程度。
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国土地理院地図・空中写真閲覧サービス (1970年の写真)
- 上間の水タンクを基準にやや西。
- この時点でも森らしき雰囲気ではない。周囲は畑。
- ちなみに、沖尚より西にあるタンクの群れのあるところは米軍基地。今では通称「与儀のタンク跡」と言われている。
(国土地理院地図・空中写真閲覧サービスより)
- 復帰前です (沖縄尚学高校3期卒業生のブログ)
- 1960年代初頭?の写真。向かいが全部畑。1970年ごろには道路沿いには3-4階立ての建物が建っていました。
- 祝嶺森:沖縄尚学高校3期生のブログ
- 沖縄尚学になったころの写真。1983年に名称変更されたので、そのころか。
- まだ沖尚下側が開発されていない
さらに古い写真
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国土地理院地図・空中写真閲覧サービス (1945年の写真。敗戦直後に米軍が写したもの。焼け野原で何もない)
- 道路から現在の沖尚の位置はわかるが、そこには何もない。解像度が低いせいもあるかも。
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国土地理院地図・空中写真閲覧サービス (1947年の写真。建物がちらほら。)
- 沖尚のあたりは黒くなっている。これが祝嶺森だろうか?
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- 3Dマッピングされた画像から。左上矢印が祝嶺森か。右は上間のタンクになる丘、下は国場の上ヌ毛。
ちなみに
- 沖尚校歌は短いので有名。覚えやすくていいんだけどね。
- また、ある理由から2番を飛ばして1,3,5番を歌うことが多い。