九州王朝説
どんな説?
古田武彦によって提唱された説。 九州には古代から連綿と続く王朝(倭)があったが、唐と新羅との戦いで敗戦(白村江の戦い)したことで、唐の支配下に置かれ滅亡し、大和と交替したという説。 首都は大宰府に置く説が多い。
詳しく知るための本
創始者の古田武彦の初期の3部作が良い。 その後の研究で訂正されている部分もあるが、基礎として抑えるべき。 ただし、どれも古本でしか手に入らないかもしれない。
- 「邪馬台国」はなかった
- 三国志の写本から、「邪馬台国」ではなく「邪馬壹国」であるとした書。
- 失われた九州王朝
- 九州には古代から連綿と続く王朝があったことを中国史書から導いた書。
- 盗まれた神話
- 日本書紀や古事記は九州王朝の史書からの盗用があるとする書。また神武東征を史実をベースにしているとする。
先行した説
九州に王朝があったとする説は、鶴峰戊申の襲国偽僣考あたりまで遡る。 当時は別に王朝を立てるというのは憚られたのか? 熊襲が大和朝廷を名乗って中国と交渉したという話になっている(Wikipedia:鶴峰戊申)。
また、上記(うえつふみ)の内容も微妙に九州王朝説に影響を与えているような気がする。
派生した説
九州王朝説は、「古代史の謎をすべて九州王朝説に押し付ける」こともできるため、 さまざまな説が派生している。あまりいい傾向ではないと思うけど。 室伏志畔あたりが最右翼か。